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織田 信成(おだ のぶしげ、天保14年7月14日(1843年8月9日) - 1898年(明治31年)2月27日〔『官報』第4395号、明治31年3月1日。〕)は、大和柳本藩の第12代藩主。尚長流織田家12代。 第11代藩主・織田信陽の九男。正室は西村光和の四女よね(米子)。子は隆ら四男二女あり。幼名は万寿九郎。初名は秀茂。官位は従五位下筑前守。後に正四位。 == 生涯 == 柳本において誕生する。安政3年(1856年)に父信陽の嫡男であった三兄の信宝が死去したため、安政4年(1857年)9月13日に嫡子となる。同年12月16日、父信陽の死去により家督を相続する。万延元年(1860年)10月15日、将軍徳川家定に御目見する。同年12月16日、従五位下筑前守に叙任する。文久2年(1862年)閏8月8日、駿府加番の廃止により、秋からの加番を免除される。元治元年(1864年)から慶応元年(1865年)にかけて、領内の崇神天皇陵の補修を行った。 明治維新に際しては小藩のために主体的な行動をとれず、病気を理由に再三にわたって上洛延期を申請した。鳥羽・伏見の戦いにおける旧幕府軍の敗北やその後の情勢を見極めて、弟の信及を上洛させた。慶応4年(1868年)5月6日に隠居し、養子とした信及に家督を譲る。 明治維新後は一時的に京都で暮らしていたようである。1874年(明治7年)6月11日、京都から東京に転居した。1876年(明治9年)、宮中侍候となる。また、1885年(明治18年)3月には宮中祗候となり、明治天皇に仕えた。同年7月、宮中祗候の廃止により免職となる。1898年(明治31年)2月27日、56歳で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「織田信成 (大名)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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